Panda Noir

JavaScript の限界を究めるブログでした。最近はいろんな分野を幅広めに書いてます。

僕と宇宙とエネルギー問題

追記:二月かけて考えを整理して新しく書き直しました。この記事を読むより書きなおしたこちらを読むほうがはるかに有用です。

あまりにも考えすぎてバカになってきているのでそろそろ吐き出しておきます。

この記事はタイトルの通り僕の中の宇宙論、エネルギー問題で構成されています。反論などは受け付けます。反論されればされるほど僕の中の宇宙論は強固で完全なものになっていくはずですから。

それともう一つ。これはあくまで思考のうえの理論であって実験など実物にもとづいているわけではありません。僕の知らない分野はなにも考慮していないので多分まだ未完成です。

僕と宇宙

僕の宇宙論の出発点は原子、エネルギー、熱です。原子がこの宇宙を構成している、(ダークマターダークエネルギーは考慮していません。未知のものだからです。多分包括しているので問題無いです)、エネルギーは消えることはない、つまりエネルギーは次々と形を変えていく、熱は熱い方から冷たい方へと流れていく。これが前提です。

では本題に入っていきます。例えば木を燃やして水を沸騰させモーターを回して発電する場面を考えます。木を燃やすと熱が発生します。熱はもちろん水にすべていくわけではありません。地面にもつたわりますし空気中にも逃げます。そして水は沸騰してモーターが回ります。しかし、モーターも摩擦が働き、100%回転するエネルギーを電力に還元できません。つまり、木を燃やすことで得られる熱エネルギーを100%電気に還元することは不可能です。99%くらいまではいけるかもしれませんがそれでも100%は無理です。

なぜ断言できるか、それは宇宙が原子でできているという原則があるからです。原子で囲いを作ったとしてもその原子に熱は伝わります。そうなると必ず100%熱が水に伝わることはありません。

戻ります。つまり、エネルギーを100%他の形にすることはできません。摩擦、空気抵抗、熱の伝導、電気抵抗、これらを考えるだけでもわかりますね。

よく自転車をこいで発電とかありますがあれなんて効率を考えるととんでもないことですよね。ものを食べて、それを消化してエネルギーに変えてそのエネルギーで自転車をこぐわけですから。非効率極まりないことです。

滑車のはしにモーターをつけてもう片方におもりをつけてそのおもりを落としてモーターを回す。この方法一見無限にできる気がしますが不可能です。何故かといえばおもりを持ち上げるのにエネルギーを使うからです。この持ち上げたエネルギーを100%電力には還元不可能です。

さて、ここで私はエネルギー問題が気になりました。エネルギーはどこかしらで熱エネルギーを経ています。そして熱は熱い方から冷たい方へと移ります。つまり、温かい地球から冷たい宇宙へと熱エネルギーが流れていき地球のエネルギーは減っていくはずです。ではなぜこんなに重大な問題を政府は気にしていないのでしょうか?

それは太陽があるからです。太陽光は植物により酸素になり、酸素を元に生物は生活し、死んで石油などになります。つまり、太陽からのエネルギーが常に地球には与えられているのでエネルギーは増減0、むしろ増加しています。

このエネルギー増加源は太陽のみです(注意:これは僕の知識不足の可能性があり断言できません)。つまり、エネルギーは太陽からの循環と言っても過言ではありません。

しかし、太陽は寿命が決まっているらしいです。50億年後、太陽は死ぬらしいです。つまり、我々人類はどれだけあがいてもほとんどは50億年後死にます。エネルギーが減る一方になるので当然ですね。燃料もだいたいが太陽のエネルギーを蓄えたものです。さきも言ったように燃料を燃やしたエネルギーは一部は熱となって地球外へどんどんでていくので地球のエネルギーは減る一方です。

つまり、この生活でもエネルギー問題を常に気にしなければ今すぐにでもエネルギーは尽きるかもしれません。

ここでまた一つ新しい前提をとりいれます。それは何事をするのにもエネルギーが必要ということです。ものを持ち上げるのも考えるのもペンで紙に書くことも全てエネルギーが必要です。パソコンもそうです。

この事実に気がつくと、テレポートやインターネット、センサーはすごくエネルギーを消費していることに気がつきます。アナログをデジタルにするのは人力にしてもスキャンにしてもエネルギーを使います。

さて、ここまできて唐突ですが僕の中でなぜ人は生まれてくるのかの結論を出したいと思います(すいません、宇宙論は書いていて混乱したので突然ですが切ります。書きたいことはだいたいかけたはずです)。僕の中の結論としては「理由などない」です。なぜなら僕らは原子です。つまり原子がまとまり、意味をもった一瞬、それが僕らです。原子に意味なんてありません。僕らは生きているのではありません。原子が移動してエネルギーを受けて動いていて生きているようにみえるだけです。それなのに「なぜ生まれるのか」なんておこがましいことです。

終わりに

若干書ききれてないですがまだ考えがまとまっていないので勘弁ください。あと、ここまで読んでいただけたらわかると思いますが僕は決定論支持者です。自分で決定論まで至って、そこで決定論が世紀の発明と思っていたらすでに同じ考えの人がいてショックを受けたのはいい思い出です。どうやら量子力学によると決定論は阿呆の論らしいですが私はまだ量子力学理解できてないので信じてます。