最近は寒くて強風で雪も降って冷え性な私にはとてもきつい季節です。※記事の内容とは全く関係ない近況報告です。
研究
研究可能時間のまえに研究の定義について確認します。研究とはある特定の物事について、人間の知識を集めて考察し、実験、観察、調査などを通して調べて、その物事についての事実を深く追求する一連の過程のことである
とwikiにあります。
つまり研究には「人間の知識」「考察」「実験」「観察」「調査」が必要です。これらはいずれも時間がかかります。
例えばある研究をするのに必要な情報時間(知識を集めたり実験したり観察したりする時間)をt、考察する時間をTとします。この時、t+T<研究者の人生 とならなければなりません。
つまり、必要情報時間が0になることも考察する時間も0にはなりえないので(0秒で知識を集めたり実験したり考察できる人はいないので)必ずt+T>人間の最大寿命となる研究が出てきます。
この時、研究は真の意味で止まります。これが研究可能時間です。研究可能時間以降はどんなに頑張っても新しい研究は起きません。研究に必要なものがなにも手に入らないのですから。
終わりに
今はまだ20歳には大学へ行くなどすれば研究ができます。だからこの研究可能時間よりはるかに短いです。だから毎日研究によって様々な発見、発明が起こります。しかし、これは100年後、1000年後、100万年後はどうでしょうか?研究可能時間を迎えたらそれは起きません。
研究可能時間を迎えたらその研究分野は終わります。それ以上研究ができませんから当然ですね。そうしてまたひとつ、またひとつと学問が終わっていきます。そして人類が研究をやめる日がきっと>来るでしょう。
研究は楽しいことです。考えることは楽しいことです。今、研究ができるうちに研究を楽しみましょう。
※ただし、研究可能時間は人間の寿命で考えています。人工知能ができれば話はかなり変わってきます。なぜなら電力さえあれば人工知能は半永久的に活動できるからです。
ただし、技術的特異点(シンギュラリティ)を2045年に迎える予定らしいです。それは人工知能が引き起こすかもしれません。そうなると研究可能時間なんていうのは吹っ飛び、研究はとてつもない速>度で進み、世界は革命されるでしょう。
言いたかったことは研究には限界があるね、ということです。